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新型コロナウイルス問題から その4

JUGEMテーマ:日記・一般

 

 

 

 

 

 

 

 9月になりました。 3月のフキノトウから始まった山菜採りも6月のタケノコ採りで一括りになりました。 山菜図鑑によっては果実も山菜に加えているから、それなら冬まで山菜採りが楽しめることになりますが、以前は秋のキノコ採りまでしばらく空白期間がありましたが、数年前から7月にヤマドリタケ(モドキ)を採るようになってから山菜採りからキノコ採りまでのブランクがなくなりました。 ヤマドリタケはちょうど梅雨の時期にマツやクヌギの混成林を歩くと、もちろんどこにでも出ているわけではありませんが、アジサイのようにボコボコ出ているのを見掛けます。 このキノコは7月の梅雨の時期に出て8月は止まって、9月に入って涼しくなるともう一度出るように見受けられます。 マツタケでも夏に出るサマツ(バカマツタケ)がありますが・・ ヤマドリタケはヨーロッパでは最高に人気があるキノコで、イタリアではポルチーニ、フランスではセップ、ドイツではスタインピルツと呼ばれるそうで、ポーランドでもよく料理に用いられるようです。 スタインピルツは石のように固いという意味だそうですが、日本のヤマドリタケは他のイグチ類に比べて固いことは固いけど石ほどではないし、同じ名前のキノコでもヨーロッパと日本のものはやはりどこかしら違いがあるようです。 日本と外国では同じ気温同じ湿度でも何となく空気が違う感じだし、そもそも林の植生が異なるから同定されるキノコ同士もその形態に違いが出るのは当然だと思います。 「風土」という巧い言葉がありますが、ただ、日本でこのヤマドリタケがまったく人気が無いのは不思議です。 人気が無いと言うより知られていないと言った方が正確かもしれないけど、アメリカやヨーロッパにもマツタケはあるんだろうけど人気が無いのと同じかもしれません。 山で採集されるような山菜やキノコはまだその土地の慣習が根強く残っているということでしょう。  日本では夏にキノコ採りをする人はほとんどいないし、夏のキノコは危ないという固定観念があるのかもしれません。 信州にもイタリアンだかフレンチのレストランがあって、乾燥ポルチーニを使った料理もありますが、たぶんヨーロッパからの輸入品だと思うけど、まさかシェフも店の裏の林に同じキノコがポコポコ出ているとは夢にも想っていないでしょう。 食べられるか食べられないか分からない物を食べるなんて原始的体験は現代人は無縁だと思いますが、人間は意外と食材に関しては保守的なところがあるかもしれません。 スーパーで食べたことが無い食材を見掛けて、もちろんスーパーで売っているんだから100%安全なんだろうけど、どう調理していいのかという問題もあるんでしょうが、買って食べるのは<ちょっとした勇気>がいると思います。 食べ歩きが趣味の友達に「このキノコ美味しいから食べてみたら?」なんて渡しても「大丈夫?」とか、「毎年食べてるんだから絶対大丈夫だよ〜」なんて言っても、食べたくないな〜なんて顔してることもよくあります。 食べることは、普段あまり意識しないけれど、その食材を体の中に入れる、同化することで、食べ慣れている物はいいけど、異質な物は本能的に警戒する、腸内フローラのバランスを崩す可能性もあるかもしれません。 今年の土用丑の日にウナギを食べましたが、ウナギは喜んで食べても、ほとんど人はヘビは食べられないでしょう。 うな重の中にヘビのかば焼きを混ぜておいたら、どうなるでしょう? 「あ、今、食べたとこ、格別美味かったな、どこの部分かな?」なんて、ヘビだと教えたら、みんな顔色が変わると思いますが、中には本当に気分が悪くなる人がいるかもしれません。 食べ物に関しては固定観念が大きく支配するのは面白いと思います・・

 

 

 さて、9月になってもまだコロナ騒動が続いています。 地域活動も滞っていますが、数年前から、地区のある会で会計を任されていて4月の総会のために収支決算書をまとめました。 今年は総会は開かれず事業報告や決算書の書面のコピーを回しただけで終わりになったので、楽で助かりました。 何かと話題になるPTAの新役員さんも今年は会合もイベントも少なくて助かっていると思います。 収支決算書と言っても、大きな会ではないし会費がきちんと入ってきて毎年同じような活動をしているだけなので、借り入れもないし繰越金が残っていくから、難しいことは何も無いんですが、ふと、人生というか、人の日々の生活もこの収支決算書と似たところがあるんじゃないかと気付きました。 バランスシートという言葉もありますが、収入と支出のバランスで、人は<良い気分、楽しい事、嬉しい事>とともに<心配な気持ち、煩わしいこと、悩み事>のプラスとマイナスの気分をフリコのように行ったり来たりしながら生きているんじゃないかと思います。 誰でも、このプラスとマイナスのミックス気分で生きているわけで、どれほど恵まれた境遇の人でもプラス気分だけ、逆にどんなに悲惨な状況の人でもマイナス気分だけで暮らすことは出来ないんじゃないかと思います。 最近のプラス気分を思い付くままに上げてみましょう。 定額給付金10万円が入った、すぐに無くなってしまいましたが、コロナ禍でもそれほど売り上げが落ちなかった、スマホが入る良い革の長サイフを見付けた、ヤマドリタケの穴場があった、トライアルバイクを修理してまた走れるようになった、近所に小洒落た焼き鳥屋が出来たなどなど・・ 逆にマイナス気分は梅雨がいつまでも続いている、コロナでみんなマスクをしていて表情が分からないし街を歩いても全然面白くない、最近、左腕がしびれるようだ、歳かもしれない、問屋から納品日に間に合わないと電話があった、ブログの更新が遅れているなどなど、悩みの種も尽きません・・ 基本的に考えたら、プラスを増やしてマイナスを減らすのが幸せな人生になるんでしょうが、野球の試合で言ったら、完封勝ち、完封負けは無いことになりますが、3−2で勝つより、10−3で勝つ方が楽勝、幸福な人生だし、3−10で負けるのは不幸せな人生になると思います。 ですが、そう単純に割り切れないのが人生の妙というものでしょう。 プラスだと思っていたものがマイナスだったり、マイナスがプラスに転換することもあります。 例を上げてみましょう。 部屋が散らかって来たな、そろそろ掃除しなきゃいけない、これはほとんどの人にとってマイナス気分になると思います。 仕方なく床を掃いたり、散らばっていた本を整理したりしてたら部屋が整って気分もさわやかになってきた、これはプラス気分に変わったと言えるでしょう。 その逆バージョンもあると思いますが・・ または、マイナス気分だったけど、楽しい事があって嵌まっていたら、いつのまにかマイナス要因が無くなっていたとか、気にならなくなったなんてこともあるでしょう。 さらにプラスマイナス気分は人によっても異なってくると思います。 手っ取り早い話、100万円の借金をしてしまったら、ほとんどの人にとってマイナスですが、億という金を動かす人にとっては痛くも痒くも無い、小学生に100円玉を上げたら大喜びするなんてこともあるでしょう。 一つの悩みが解決してやれやれと思ったら、一難去ってまた一難で、別な悩みがグラスのビールの底の泡粒ようにふわふわ浮かび上がって来る、この繰り返しで、案外、プラスマイナスの内容に関係なく、常にこのバランスが保たれるような仕組みになっているのかなと思われるほどです。 一国の首相の悩みと一般人の心配事では、それこそ次元が異なると思いますが、その本人が感じている苦痛というのは、もしかしたら、それほど変わらないかもしれません・・  

 

 

 この心理バランスは何かに似ていると思っていたんですが、腸内細菌叢に似たところがあるんじゃないでしょうか? 腸内フローラは人や動物の腸の内部に生息している常在細菌ですが、人では約3万種類、100兆から1000兆個が生息して、1.5キロから2キロの重さになると言われています。 人は母親の胎内にいる時は無菌状態ですが、産まれる時に産道で、さらに母親との接触や食餌などによって微生物に感染し始め、微生物はその後、体表面、口腔内、鼻腔、消化器官、泌尿生殖器などで常在することになります。 腸管内の細菌が腸内細菌ですが、腸のヒダを広げるとテニスコート一面分にもなるそうで、お腹の中にテニスコートの広さのお花畑が広がっていると想像するのは面白いと思います。 腸内細菌は細菌同士やウイルス、または人とも共生していて、人が分解出来ない多糖類を脂肪酸に分解してエネルギーに変換したり、外部から侵入した病原菌やウイルスの増殖を抑える感染防御の仕事も行なっています。 腸内細菌は便宜的に善玉菌、悪玉菌、日和見菌に分けられていますが、善玉菌にはビフィズス菌、乳酸菌、アシドフィルス菌など、悪玉菌にはウェルシュ菌、病原性大腸菌、黄色ブドウ球菌などがありますが、面白いのは例えばビフィズス菌を増やそうとして、ヨーグルトやビフィズス菌のエサになる食材を摂っても、すぐにその菌が増えるわけではないそうで、腸内細菌叢は幼児期に食べた物、親からの遺伝、その地域の食生活などが係わっていて、人によって一定のバランスが保たれていることです。 逆に、なぜ人は体内に悪玉菌を留めておくんでしょうか? それが悪玉だと自他ともに認めるなら、体内から駆除してしまえばいいと思うんですが、胃の中のピロリ菌の除菌が行なわれますが、最近、ピロリ菌も何らかの仕事をしていると考えられるようになったようです。 腸の中の悪玉菌と言われるものを人為的に駆除してしまったらどうなるでしょう? たぶん、日和見菌が悪玉菌の役割をするか、いつのまにか悪玉菌がまた繁殖し出すんじゃないかと思いますが、必要悪という言葉があるように、悪玉菌も何か意味があるのかもしれません。 先程の人間の心理バランスでマイナスがプラスに転換する例が出てきましたが、悪玉菌が刺激になって善玉菌も活性化することも考えられるし、良い意味のストレスですが、腸内細菌を善玉悪玉と明確に区別することは出来ないのかもしれません。 『浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ』と言いますが、これは社会全体を眺れば、過去にもたぶん未来にも<悪人>がいる、悪に絶対的な基準は無いかもしれませんが、悪を無くすことは出来ないという意味でしょう。 子供に「どうして世の中には悪い人がいるの?」なんて聞かれたら、何て答えていいのか分かりませんが、「世の中には悪い人がいるから社会に出てはいけません」なんて教える親はいないと思いますが、そんなことを言ったら、よぼよぼになるまで外には出れないことになりますが、社会のほとんどは良い人だけど悪い人もいる、でもその中で生きていかなければならない、細菌やウイルスと同じく免疫力を持って立ち向かうしかないということでしょう。 少々話が変わりますが、多幸症という病気の人がいるそうですが、どんな悲惨な状況でも落ち込まない、楽しい気分でいられる、そんな人が友達にいたらいつも明るくていいかもしれませんが、多幸症の人は幸福と言えるんでしょうか? 不思議な疑問ですが、もし多幸症の人を幸福と言うなら、近頃、よく取り上げられる映画『マトリックス』の冒頭部分、人間がカプセルに入って楽しい夢を見ている状態、それも幸福と呼ばなければならないでしょう。 やはり人間は電気ではないけど、プラスとマイナスの相克によって生きて行かなければならないと言えるかもしれません・・ 

 

 

 さて、9月に入っても新型コロナウイルス騒動が続いていますが、本題に入る前に『FACT FULNESS』という本について書いてみたいと思います。 この本はコロナが始まる前に書かれた本ですが、少し前、日本でもベストセラーになったので、読んだ人も多いと思いますが、シンプルな本のカバーに「10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣」というキャッチが書かれています。 世界の様々な状況をどれが正しいか、三択で選ばせると、サルでも三匹に一匹は当たるはずなのに、ほとんどの人が間違えて答える、これは何故なのか? それは昔からの思い込みや世間一般の常識またはマスコミの情報、さらに人間が元々持っている本能によって真実が歪められているからだ、正しい判断をするには、正確なデータや現実を自分の目で見て、自分の頭で考えなければいけないという趣旨のことが書かれています。 このファクトフルネスの精神はコロナ騒動を考える上でも、非常に重要だし、いいタイミングで出版されたと思いますが、ベストセラーになった割には、この精神が世間に浸透し始めたように見えないのは不思議です。 そもそも、正しいデータをどのように入手するか、どれが正しいデータなのかをどう見極めるのかという問題もあるでしょう。 新聞などで書店の人気売り上げランキングが週ごとに掲載されますが、案外、良い本がランクインしているように思いますが、何か賞を取ったような小説とか、有名人が書いたような本が売れるのは分かるけど、これは良さそうな本だなと思える本が売れているのは、読者もそれなりのカンがあるということでしょうか? 口コミとか出版社の宣伝もあるかもしれませんが、買って読んでみなければ内容が分からないのに、良さそうな本が売れるのは、読者もそれなりに真贋を見極める目を持っているということでしょうか? 国民と言うか、市民と言ったら町民は入らないことになりますが、大衆と言うとレベルが下がる感じで、ピープルは一般的な日本語ではありませんが、国の選挙でも終わってみれば、案外、賢明な選択しているなあと感じることがあります。 国民は見ていないようで見ている、賢いのか賢くないのか、よく分からないところがありますが、このコロナ騒動は国民は明らかにマスコミに洗脳されていると思いますが、ファクトフルネスの精神でもう一度、検討してみましょう・・

 

 

 9月5日のデータで、日本の新型コロナ感染者数は71491人、死者は1361人、入院重症者数が8062人、退院数62104人となっています。 以前から指摘されているように、この数字は欧米各国の数十分の一で、東アジア諸国と同じく日本では風邪やインフルエンザ並みの被害しか出ていないことがデータからも裏付けられています。 もちろん、感染防止対策を取っていることが被害を小さくしている可能性もありますが、確か、9月1日の長野県のニュースで、コロナウイルスによる県内初の死者が出たとか、逆にビックリしたんですが、春からあれだけ騒いでいて、今まで県内でコロナで亡くなった人がいなかったのかと驚きました。 このアナウンサーはいつもの調子で一生懸命喋っていましたが、内心、何を思っていたかは分かりませんが・・ 日本を含む東アジア周辺はコロナウイルスによる風邪が流行しやすいと言われていますが、新型コロナウイルスに対する交差免疫が出来ていたという説、あるいは初期の段階で日本人は比較的軽症の新型コロナウイルスに感染して、重症化するウイルスに対する免疫を獲得し、さらに強力なウイルスが入って来てブースター効果を起こしたのではないかという説もあります。 つまり日本などで感染者や死者が極端に少ないのは、初期の段階で新型ウイルスに対する免疫を獲得していたからで、もしそれが事実なら欧米のような自粛などまったく必要なかった、普通の生活をしていて何ら問題は無かった、大失策を演じてしまったことなるでしょう。 1918年から19年まで起きたスペイン風邪では世界人口の3分の1の5億人が感染したとされ、約5000万人が死亡、日本でも39万人が亡くなったとされていますが、これ位の規模をパンデミックと呼ぶなら、現在、世界でも死者数は100万人弱、今回の新型コロナはどう頑張っても?パの字にも達しないでしょう。 第2波が懸念されていますが、そもそも第1波がどれほどのものだったんでしょうか? 中国内部で大地震が起こって、日本にも大津波が来ると数十メートルの高台へ避難していたけど、数十センチの波しか来なかった、それでも第2波が来るんじゃないかと今でも高台に留まっている状態です。 幾ら沖を眺めていても、たぶん第2波も第3波も来ないでしょう。 最初のダイアモンドプリンセス号の感染データからして、クルーズ船は密閉空間だし最も感染し易い状況だと思いますが、3700名のうち634名の感染、重症化したのは7名、そのうち80代の男女2名が亡くなったそうですが、重症化率はわずか1%、致死率は0.3%でインフルエンザ以下でこのウイルスが強毒性でないことは明らかです。 ですが、ここから不思議が連続するんですが、政府関係者がこのデータを見たら、このウイルスは怖れるほどではないとすぐに分かると思うんですが、なぜはっきり「怖れる必要はありません」と発表しなかったんでしょうか? または感染症の専門家だってインフルエンザ並みの疾患だと分かったはずなのに、なぜ逆に何十万人が死ぬなどと煽ったのか、さらに現在でもコロナは指定感染症第二類相当とされていますが、実際にはエボラ出血熱と同じ第一類扱いされているそうで、なぜ解除しないのか、そして今も続いていますが、なぜマスコミは煽りに煽っているのかまったく不思議です。 もっと言えば、一般の人々、国民もなぜそんなに怖がっているのか、問い詰めていったら「それが新型コロナウイルスだから」なんて笑うに笑えない答えが返って来そうですが、不思議不思議のオンパレードです。 最近では陰謀説まで出て来ましたが、陰謀と言ってもコロナを煽りまくって、どういうメリットがあるんでしょうか? 世界中のGDPを何百兆円も落ち込ませて、世界大不況の崖まで追い込んで、メリットがある人がいるんでしょうか? 背後に大掛かりな愉快犯がいて煽っているなら、ずいぶんスケールの大きな愉快犯だと思いますが・・ 先日、ある雑誌で「将来、人々がこのコロナ騒ぎを振り返ったら、史上最大のバカ騒ぎだったと思い出されるだろう」とか、中には分かっている人もいるってことでしょうが、とにかくマジカルでミステリーです・・

 

 

 コロナ騒動を牽引しているのは、言うまでもなくマスコミですが、最近、道路交通法であおり運転の罰則が強化されましたが、マスコミのあおり運転を止めてくれるポリスはいないってことでしょう。 現在のマスコミの中心的存在はやはりテレビだと思いますが、若い人ではスマホに変わってきていますが、スマホのネットニュースも大手メディアのニュースを引用しているから、内容は同じでしょう。 多くの人にとってテレビは物心付いた時から家にある物で、床の間は無くても、居間の最も見易い場所にテレビがある、食事の時、ちょっと暇な時、テレビを付けている、人間は空気が無ければ生きていけませんが、と言って、空気があること、空気を吸っていることを特に意識していませんが、現代人にとってテレビはそんな存在になっているんじゃないかと思います。 ちょうど、学校の教室に入って机に座れば、先生がいて黒板だかホワイトボードに向き合うようになっている、それを何とも思わないのに似ています。 もうだいぶ前ですが、何十年も独り暮らしをしていたおばあさんが亡くなる時、「テレビさん、長い間、本当にありがとうございました」と語ったそうですが、一人暮らしで外へ出ることもあまり無かったおばあさんにとっては、テレビが親友で遊び相手で頼りになる先生だったんでしょう。 つまり、おばあさんにとっては、身近な現実より、むしろテレビの世界の方が現実だった、まさしくバーチャルがリアリティだったということでしょう。 これはおばあさんだけでなく、多くの現代人が陥っているトラップかもしれません。 <テレビを通して見る>つもりが<テレビが見ているように見る>状態になっているんじゃないかと思います。 日本の政治をどう見るか、テレビが見ているように見る、社会状況をどう見るか、テレビが見ているように見る、世界情勢をどう見るか、テレビが見ているように見る・・ コロナウイルスには免疫があっても、テレビにはまったく免疫が効かず、一億人が感染してしまった感じです。 もちろん、政治や社会状況や世界情勢を知るのも、一般人は千里眼やどこでもドアを持っているわけではないので、マスコミの力を借りるしかないし、マスコミだってどのように情報を集めるか、記者クラブに詰めるとか、アメリカならアメリカから入って来るニュースを配信するとか、すべてを網羅した客観的なニュースなど流せるはずは無いでしょう。 ですが、あまりに偏ったニュースを流したり、受ける方もマスコミに依存し過ぎることは戒めなければならないと思います。 今回のコロナ騒動でマスコミは必要以上にコロナの恐怖を煽りましたが、ステイホームでテレビを見ていてくれれば視聴率が上がると言っても、煽り過ぎてスポンサー企業の収益が悪化したら、自分達の経営にも影響してくるだろうし、「嘘も100回言えば真実となる」という言葉がありますが、何日プロパガンダを続ければ国民を洗脳出来るか、まさか実験していたわけでは無いと思いますが・・ 今回の件でマスコミはその信頼も大きく損ねたと思いますが、9月6日に九州地方を台風10号が通過して、当初、猛烈な台風で特別警報を発表する可能性があると予告してしていましたが、急速に勢力が弱まって大きな被害は出ませんでした。 翌日、予報官だかがテレビに出て来て、弱まった理由として、その前の台風9号が海水を撹拌して水温が下がったせいとか説明していましたが、これは少々驚きました。 天気予報は気象衛星もあるし、その精度は上がって来ていますが、それでも自然現象だから外れることもあるでしょう。 それは仕方ないと思いますが、予報が外れた時は謝罪しろとまでは言いませんが、せめて外した理由を説明すべきでしょう。 どんな仕事をしていても、ミスを犯したら謝罪するのは当然ですが、天気予報は謝罪も無ければその理由説明もない、のこのこ出て来て、平気で明日の予報を喋っているんだから、気象予報士は楽な仕事だなと思っていましたが・・ マスコミも今回、恐怖を執拗に煽った理由をきちんと解明して謝罪すべきでしょう。 それが、マスコミが信頼を取り戻す第一歩になると思います・・

 

 

 東日本大震災を個人に例えると、体の一部を複雑骨折して、未だにその箇所に後遺症が残っているような状態ですが、今回のコロナ騒動はどう考えたらいいでしょう? 病気に罹ったというより、振り込め詐欺に引っ掛かって財産の半分近くを巻き上げられて、おまけにノイローゼにさせられてしまったようなものでしょう。 このノイローゼ状態から立ち直るのは、ケガ以上に時間が掛かるかもしれません。 振り込め詐欺はもちろん詐欺グループが悪いわけですが、騙された方にも問題があると言われますが、そのほとんどがお年寄りですが、コロナ騒動を被害者の立場から考えてみましょう。 今回の騒動が戦前ではなく、21世紀に入って20年も経ち、平成も終わりさらに新しい時代に入ってから起きたことに、自分は少なからぬショックを受けました。 これが戦前に起きた事件なら、戦前は思想や学問や表現の自由は制限されていたから、そんな事もあるかもしれないなで、ドイツ国民だってヒトラーに引っ掛かってしまったわけだし、まあ話は分かるんですが、戦後70年以上も時代が進んで、衣食住は満たされ、あらゆる情報が手に入り、自分の意見を自由に発信出来る時代に起きたことに大いに驚きました。 若い人達も先生や親に指示された小学生のように、健気にマスクを付けて街を歩いていますが、自分達の行動に何の疑問も抱いていないんでしょうか? 戦後の教育基本法を見れば、あまり詳しくはありませんが「幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い・・」「・・創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに・・」など人間的成長を目指す文章が並んでいますが、戦後の学校教育とは何だったんでしょう? 現在、国民が教育に掛ける時間やエネルギーや金は膨大なものがあると思いますが、マスコミのブラフにこんなに簡単に引っ掛かってしまうのは、教育が全然役に立っていないということでしょう。 例えば「免疫力」一つ取り上げてみても、中学で習うか、高校で学ぶか知りませんが、免疫力が体にあるんだから、むやみにウイルスを怖れる必要は無いと分かるはずですが、そう考える若者がほとんどいない、ただ回りの状況に流されているのは、仮に学んだとしても、ただ頭の中のフォルダにしまい込んであるだけ、まるで自分の血肉になっていないということでしょう。 この調子で行ったら、例えばマスコミが「新型コロナウイルスのワクチンが出来ました!このワクチンを接種すれば、もう大丈夫です!」なんて大宣伝したら、われもわれもと押し掛けて、逆にその副作用で何十万人が苦しむなんて、コロナ以上の大薬害事件が起こる可能性だってあります。 今回のような危機的状況に冷静に対応出来るようになることが学問や教育の目的の一つだと思いますが、これを機にもう一度、教育のあり方を見直すべきでしょう・・

 

 

 先日、県内のニュースで、「○○市と××町で新たに2人の感染が確認されました。軽症だということです・・」とか、ほとんどポケモン探しの感覚になって来ましたが、だいぶ前ですが、どこかのテレビで、蛍光塗料の物質を使って接触感染がどのように広がるかなんて実験をしていました。 手で触れるたびに蛍光塗料が部屋中あちこちに広がって、床に落ちるものもあるし、空調で空中に巻き上げられるものもあるだろうし、これで体内からの飛沫感染まで加わったら驚くほどの拡散になるでしょう。 あんな映像を見せられて、本気で対策を練ろうとしたら、正常な人でも接触障害?の感染ノイローゼになってしまうと思いますが、追い打ちを掛けるようですが、たぶんウイルスの感染はあの程度ではないでしょう。 蛍光塗料の物質が何か分かりませんが、花粉が30〜40マイクロメートル、黄砂が4マイクロ、細菌が1マイクロ、ウイルスの多くは細菌の10分の1から100分の1で、100ナノメートルから10ナノ、ちなみに原子の大きさが0.1ナノ、電子はその1000万分の1より小さいなどと考えられますが、そこまで行くと大きさという概念が崩れてくると思いますが・・ つまり、目に見えないミクロのウイルスがいったん拡散してしまったら、人間が意識的にそこから逃れることなど不可能だということです。 では、意識の力で逃れられないものにどう立ち向かえばいいのか? 無意識の力に助けてもらうしかないでしょう。 生物が持っている恒常性維持機能ですが、その一つに免疫機能がありますが、これは非常に高度で複雑なシステムで、生物は<感染しないようにする>より<感染してもやられないようにする、入って来た敵を殲滅する>というシステムを造り上げたわけです。 国で例えたら、他国から攻撃されないように逃げ回るより、攻撃されても相手を迎撃して撃退出来る高度な防衛力を整備したことになります。 この力があったから、人間や他の生物もここまで生き延びて来れたはずで、例えば、植物にも免疫システムがありますが、植物は病原菌やウイルスがやって来ても逃げるわけにいかないでしょう。 動物だって「何か、最近、ヤバいウイルスが出て来たらしいから、お互い注意しようぜ〜」なんて連絡取り合ったりしないでしょう。 コミニュケーションを取るのは人間だけ、しかも最近になってからではないかと思います。 もちろん<予防>がまったく意味が無いとは言いませんが、感染症を防ぐ主体はあくまで免疫力であって、逃げ回って怯えて暮らすのは逆に免疫力を低下させることになると思います。 今、社会全体でコロナの不安や怖れや苛立ちが広がっているのは、意識の力で無意識をコントロール出来ないことに起因していると思いますが、以前、どこかのブログで触れたと思いますが、もう一度、「自己管理」という言葉で考えてみましょう。 自己管理という言葉を使う時、意識としての自己が無意識としての自己をコントロールして管理するというニュアンスがありますが、つまり、意識が無意識より優位にあることになりますが、本当にそうなんでしょうか? ここに現代人の思い違いや傲慢さがあると思いますが、むしろ無意識としての自己が意識としての自己を支えているんじゃないでしょうか? 前回のブログで、社会の下部構造としての経済の話が出て来ましたが、似た関係で、恒常性を持った無意識の自己が土台にあってはじめて意識としての自己があると考えるべきでしょう。 変なウイルスが入って来たみたいだから、どの免疫細胞に攻撃命令を出そうかななどと考える人がいるでしょうか? 今日は、あのホルモンをどれくらい分泌しようかなどと頭で計算する人もいないでしょう。 そんなことを意識しなくても自動的に最適な判断を下しているのが自分の体なんだから、もっと自分の体の生命力を信じるべきでしょう。 意識するとしたら、心身ともにバランス良く明るく健康な生活を続けることくらいで十分だと思います・・

 

 

 今回、新型コロナウイルスがここまで大きな問題になっているのは、先程の人間の意識ー無意識にも関係するんですが、一つの<人間中心主義>があるのではないかと思います。 ウイルスや細菌を人間から完全に切り離されたまったく異質な存在だと誤解している人もいますが、ブログの冒頭の腸内細菌のように、おそらく体内にウイルスがいなければ、人間も生きていけないでしょう。 ウイルスの研究は始まったばかりだし、細菌よりはるかに小さな存在なので人間とどのように共生し合っているのかまだよく分かっていないようですが・・ <未知のウイルス>という言葉もよく耳にしますが、未知のウイルスがあるなら、既知のウイルスもあるわけで、新型コロナウイルスもコロナウイルスの仲間だから、SFに出て来るようなまったく未知の宇宙ウイルスとは違うわけですが、ここで、未知のウイルスと言った時の「の」の用法について考えてみましょう。 先の用法と違って、文法的に何て呼ぶのか分かりませんが、「の」はイコールの意味合いで使われることもあります。 「神秘の宇宙」などと言う場合です。 「未知のウイルス」と聞いて、このイコールの意味に解釈している人がいるようで、つまり、ウイルスそのものが未知の存在なのだと勘違いしていることになります。 自分も今回、ウイルスについて勉強してみて、まず驚いたのは種類と共にその数です。 未知どころか、ウイルスは人間や動物の体内から、空気中にも水の中にも土の中にも、およそ地球に存在するすべての物にいるそうで、一滴の海水には何億というウイルスが、コップ一杯なら何兆個というレベルになるようです。(ただ、その「いる」という表現がどういう状態を指すのかよく分からないんですが、ウイルスは生物ではないから、生きている、死んでいるとは言えないと思いますが・・) ともかく、その数は地球上の全生物の全細胞の数より多いことは確実だそうで、人間の細胞数が37兆2000億個と推定されるから、全生物の数を掛けてみたら面白いと思いますが、天文学的数字という言葉は使い古されたから、これからはウイルス学的数字と呼んだ方がいいかもしれません。 人間はウイルスの海を泳いでいる魚のようなもので、当然、ウイルスの影響を受けているだろうけど、その存在にまったく気付いていない、未知より<無知のウイルス>と呼ぶべきかもしれません。 現代社会は、人間生活の向上は自然をコントロールしてより快適にすること、特に細菌とかウイルスとか虫とか野生動物のような下等な?生物からは離れなければならないという風潮がありますが、ほとんどAIの世界に近付いて行く感覚ですが、これは科学技術の進歩やテレビコマーシャルの除菌、殺菌、滅菌なんて文句にも感化されているんでしょう。 ですが、ウイルスや細菌はエイリアンのような存在ではなく、常に人間と共存している仲間だ考えれば、恐怖感も薄れてくるのではないかと思います。 ではなぜ、悪さをするウイルスがいるのか? 「浜の真砂は尽きるとも、世に悪の種は尽きまじ」で、世の中には、どうしても悪というものがある、でも、それも含めて生きて行かなければならないということでしょう・・

 

 

 さて今回はかなりの長文になってしまいました。 読んでる人も少々疲れてきたと思いますが、書いている方はもっと疲れるので、そろそろ終わりにしたいと思います。 日本人の同調性ついて書いてみたいと思いますが、友達と話していると「コロナ自体はそれほど怖くない。ただコロナに罹ってしまったら会社にも行けなくなるし家族も困る。ここで暮らしていけなくなるかもしれない」なんて声をよく聞きます。 コロナよりむしろ社会から排除されることを怖れていることになりますが、これはやはり感染症が特異なもので、ちょうど火事のように一軒から出火してすぐに消さなければ広まってしまう、火事を出した家は居た堪れなくのに似ていると思います。 ガンになった人が世間から非難されるなんてことは無いでしょう。 ただ刑期を終えて戻って来た人がなかなか社会に受け入れて貰えず、再び犯罪を犯してしまうことが多いように、日本は同調圧力が強いことは確かだと思います。 「空気を読む」とか「忖度」とか協調性は良い方向へ向かえば良い結果が出ますが、悪い方へ向かえば最悪の結果になるでしょう。 例えば、戦後の高度成長、所得倍増とか国民が一体となって頑張った結果、あっと言う間に世界第二位の経済大国になった、逆に戦前は「一億火の玉」「欲しがりません勝つまでは」とかで国を壊滅状態に追い込んでしまいました。 この同調性はもともとどこから来ているのか? 日本やアジア諸国は農耕社会で、農耕というのは集団的作業であり、どうしても協力してやって行かなければならなかった、そこからはみ出る者は生きて行けなくなった、逆に欧米は狩猟社会であり、集団的行動が求められなかったから個人主義が発達したなんて説をよく聞きます。 単純に農耕社会、狩猟社会で割り切れるものでもないでしょうが、21世紀になって都市化が進んだ現在でも「村八分」なんて江戸時代の言葉が残っているのは驚きです。 もう2ヶ月以上前の新聞記事ですが「フロリダ無防備な日常」なんてタイトルのアメリカからの記事で「・・フロリダの巨大フリーマーケットでもマスクをしたり社会的距離を取る人は少ない。若い女性に感染者が1000万人を超えたと話しても『そうなの』とそっけない。ビーチで海水浴を楽しむ若者も『怖れて生きて行くのは嫌だ』『そんなものいつまでも構っちゃいられないよ』などと話している・・」 日本人記者の呆れ顔が見えるようでしたが、「そんなものいつまでも構っちゃいられない」この若者の言葉に自分は人間らしさを感じました。 英語で何て言ったかは知りませんが・・ たかがウイルス、されどウイルス、でもやっぱりたかがウイルスでしょう。 なぜ人間様が怖れおののいて、まるで犯罪者のようにコソコソ逃げ回って生きなければならないのか? このアメリカ人の<規律>よりも<自分達の素直な自然な気持ち>を尊重する態度がアメリカを世界一の国にしたんじゃないかと思います。 ヨーロッパからアメリカ大陸へ渡った人々がたかだか数百年で原野だったアメリカに鉄道を敷きハイウェイを走らせ、都市を造り摩天楼を築き上げて、世界の人が憧れるアメリカ文化を造り上げた、もちろん原住民を追いやったり自然を破壊したなど負の側面もありますが、人類に進むべき一つの道を示したことは称賛されると思います。 どんな道でもそこに道があるなら、そこをひたすら走って行けば追い付くことは可能かもしれません。 ですが道を切り開きながら進んで行くのは、はるかに難しいし苦しいし、価値ある立派なことだと思います。 人間は規律の前にまず自分の自由で自然な心に従うべきでしょう・・

 

 

 「人間は社会的動物である」これはアリストテレスの言葉ですが、それが真実なら感染症対策ほど非社会的で非人間的なものは無いでしょう。 人間は体の中に悪いものが入っている、または入っている可能性がある、だからそれを他の人に移さないようにお互い交わってはいけないと言っているわけで、人間不信を正当化して、それを徹底させたら社会を崩壊にまで追い込む可能性があります。 そもそも接触出来ないことになったら、親は子育てが出来なくなるし、その前に濃厚接触になるセックスが出来ないから、子供が生まれて来なくなります。 これからは女性は人工授精で子供を産まなければならないんでしょうか? 最近は人が集まる場所へ行くと表情も無く笑うことも忘れたマスク顔の人ばかりで、洗脳されたカルト集団のような不気味ささえ感じます。 まあ、落ちる所まで落ちれば、ある日、自分の姿を鏡で見て、なぜ自分はこんな恰好をしているのか、一体何を怖がっているんだろうと夢から覚めると思いますが・・ ただ、先日、ある本で、このコロナ禍は人類全体の集合的無意識が働いている、コロナはただそのきっかけであって、その背後には世界の急速な経済成長による地球環境破壊への人々の強い危機意識があるという説を読んで、なるほどそういう見方もあるのかと思ったんですが、確かにコロナ以前の社会が理想の社会だと考える人は少ないでしょう。 経済至上主義で大量生産、大量消費、大量廃棄を続けていけば、本当に地球がおかしくなってしまうかもしれません。 現在、コロナによる自粛やステイホームなどで経済が停滞していますが、ここで一度立ち止まって、今までの生き方を反省する機会になったとも考えられます。 台風が進路を急に変えるように、ここから新しい生き方が始まる可能性もあるでしょう。 今回のコロナ騒動が意図的に起こされたことなのか、偶然起こったことなのか、自分には分かりませんが「覆水盆に返らず」で起こってしまったことは仕方ないでしょう。 「人間万事塞翁が馬」という諺もありますが、これから世界的な不況が来ると思いますが、もし多くの失業者が出るようになったら<ベーシックインカム>を導入せざるを得なくなるかもしれません。 年金や生活保護を止めて、定額給付金のように毎月すべての国民に最低限度の生活費を給付する、人類史上初めて、すべての人が生まれながらに経済的にも生存が保証される社会が誕生することになります。 「転んでもただでは起きない」という言葉もありますが、人々が強い心で立ち向かって行けば、21世紀は新しいルネサンスの時代になるかもしれません・・

 

 

 

 

         

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     

sakutk250 * 日記 * 20:16 * comments(0) * - * pookmark

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